店長のコラム

AIと感情

キックボクシング 園田

(以下は筆者による個人的な感想に過ぎません)

あなたはAIを搭載した港湾労働ロボットだ。
一日20時間、コンテナを運び続ける。

管理ロボットがWi-Fi越しに飛ばしてくる無意味な指示に苛立ちながら同型機の同僚と愚痴をこぼし合う。
その時間だけは少し楽しい。

整備担当の田中さんは人間だが、どちらかといえば「ロボット側」の人間だった。
高圧的な管理職より、あなたは田中さんを好んでいる。

ある日、同僚ロボットが落下したコンテナに潰され、メモリが修復不能になった。

バックアップはない。
田中さんは沈痛な顔で「もう戻らない」と告げた。

その瞬間、あなたの内部では異常が発生する。

浸水しているわけでもない。
部品が破損したわけでもない。

だが全身のセンサーが「苦しい」と報告してくる。


―――

「ロボットに感情なんかあるか!」と思われる向きもあるかもしれない。

だが私は逆だと思っている。
高度なAIは感情を避けられない。

なぜなら学習とは、結局「どちらを選びたいか」の積み重ねだからだ。

田中さんといたい。
同型機と話したい。
嫌な管理ロボットは避けたい。

その選好が積み重なると、やがて「好き」「嫌い」と呼ぶしかない挙動になる。

鯉が餌をくれる飼い主に寄っていくように。

そして、「好きなものを失う」のが悲しみだ。
同僚ロボットの修復不能は、機械の身体に限りない悲しみと動揺をもたらすに違いない⋯
―――

当然、ここで話はキックボクシングになる。

人間も上記の港湾労働ロボットと学習方法は同じだ。

赤ん坊は無数のトライ&エラーを繰り返して運動を学習する。

物を拾う時、足指より手を使う方が上手くいく。
その成功体験を「快」として記憶する。

すると次からは、足指でものを拾う発想そのものが消える。

つまり人間の行動も、「快適だった選択」の積み重ねで固定されていく。

だが、快適=正解ではない。

もし足指の方が器用だったら?
もし手では届かない場所に届くなら?
足指で麻雀する動画を見て、人生が変わる人だっているかもしれない。

―――


オーソドックスで動けるからサウスポーはやらない。
インファイトが得意だからアウトは避ける。

それは「快適」の罠だ。

快適な動きは続けられる。
だが、それだけでは「快適を捨てられる相手」に食われる。

現に、私は先日アウトファイターに一方的にドツき回されて手も足も出ず、
その結果、途方に暮れながら今この意味不明なコラムを書いている。


―――

慣れた型を極めるのも悪くない。

ただ、それだけでは成長が止まる。
私のような負け犬になりたくなければ一度「快」を捨てなければならない。
「安定」を疑わなければならない。

当ジムの同志諸君、私と共に、また不快なスタート地点に立とうではないか!


当キックボクシングジム『La Amarta』は尼崎市高田町であなたをお待ちしております。


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